おはようございます、さいとうです。
有料のレジ袋は必要ですかと、女性の合成音声が問いかけてきました。今日からレジ袋が有料へと移行したことをあらためて知ります。
レジ袋の有料化の動きは、理解が難しい。
有料でもレジ袋を使って欲しいのか、レジ袋は使わないようにして欲しいのかどこか煙に巻かれたように感じる人も多いのではないでしょうか。
レジ袋が路上に落ちていたり、風に飛ばされていたりすると、ああ、散乱してしまうと嫌な気持ちになるのですが、そのことと有料にする動きがどうしても結びついているようには思えないのです。
個装や外箱を廃してパッケージを簡素に改めたり、賞味期限切れの廃棄処分等のフードロスを減らしたりする取り組みは、直に効果が見えることもあり、自分もその動きに歩調を合わせようと心掛けるようにしています。
ぼくの中で、以前から決めている「レジ袋基準」は3つ。
辞するのは、キオスクならば裸で商品を渡されるミントや喉飴などを買う時。貰うのは、菓子パンやお握りなど包み紙がゴミになるため消費後にまとめて廃棄することが望ましいと思う場合。そして自分の手元にやってきたレジ袋は必ず身の回りのゴミを廃棄する際のごみ袋として活用すること。
さて、ひとつ前で精算していた男性がごそごそしながらレジ前を離れません。お弁当と総菜と紙パックの飲み物、さらに店員からお箸とストローを渡され、財布とレシートも一緒に両手で持とうとして、上手く掴めないよう。
レジ画面からは、次の「有料のレジ袋は、、、」との明るい声が響きました。隣でレジ袋に朝の買い物を詰めてもらった女性が、先に出ていきました。
さ。
※雑感
十代のころから鞄よりも袋好きなので、買物トートなんて言葉を知る前から、一澤帆布の袋を愛用し、最近は使わないときには卵一個ほどの大きさになる、シートゥーサミットの袋を買物に持っていったりします。
まだ町の商店街に八百屋や乾物屋があったころ、買った品を古新聞にぽうんっと放り込み、くるくるっと丸めて「おおきに」と声をかけて手渡す若主人。格好良かったあな。買ったものを包むのは、それで良いように思うのです。