EMIRPs Today(2019-05-20)#1239 富岡に学ぶ

おはようございます、さいとうです。

「一本は0.02ミリ。20個の繭から糸を束ねて一本に巻き取っていくのですよ」、生糸を繰る実演をしながら、ぷっくりした指先の女性が教えてくれました。

ずっと見てみたいと思っていた富岡製糸場を訪れました。高崎から20キロほど西に山が大きくなってきたころに製糸場がありました。1870年(明治3年)に、官営の製糸事業所設立が決められ、来年でちょうど150年になります。

富岡製糸場の詳細は他に委ねるとして、驚きがいくつかありました。

ひとつは、事業企画から開発までスピード感です。設立指導を仰いだ先は、フランス人のポール・ブリュナ氏。1870年2月に設立決定ののち、同6月には仮に、同10月には正式に契約締結し、その間、8ヶ月。

ふたつめは、開発までに要した期間の短いこと。助走期間がある程度あったのかもしれませんが、1871年3月に建設着工し、1872年10月には操業を始めたと言います。その間、20ヶ月足らず。

そして、もうひとつは、ブリュナ氏の雇用期間がわずか5年間だったこと。建設地の選定、製糸場の基本構想、設備エンジニアリング、大量生産労働という新しい概念の導入など、短期間に驚くべき成果をあげています。

ところが、同フランス人指導者は、5年後に帰国しました。

ブリュナ氏は、どんな思いで当地を離れたのでしょう。現代社会のように半日も使えば帰国できるならば、もっと長く指揮を執ったのだろうか。その後、世界最大級の製糸事業へと成長した富岡の製糸場ですから後ろ髪を引かれる思いだったのではないだろうか。

常々、仕組みや仕掛けの構想や立上げに長けた経営者と、成長推進に長けた経営者は異なると感じることが多いです。ブリュナ氏は前者に秀でた経営者だったのでしょう。叶うならば、彼の経営哲学を聴いてみたいものです。

さ。

※雑感
圧倒的に大きな建物は木骨煉瓦造と呼ばれ、日本伝統の木造と煉瓦積みの壁を組み合わせて整然とした巨大工場建屋を実現し、自動化の原動力は、17.5馬力の蒸気機関が用いられいた。繰糸機もエンジンも欧州からの輸入品でした。
小学生の頃、教科書のある頁に簡潔に記されていた富岡製糸場。実際は数行の記述では到底理解できない、圧倒的なプロジェクトでした。

新事業の立ち上げに掛かる日数は、現代とあまり違わないです。新しいサービスや事業を構想を形にする場合、当社が携わるような分野でも立上がりに3年程度を費やすことはよくあります。その後の成長は市場環境の影響が大きい上、事業を営む方々の力量と執着が成否に響きます。